近代園芸の発展
明治10年(1877)、試験場内に獣医学、農学、農芸化学、農芸予科の4科を置いた本格的な農事修学場(のちに農学校に改名)が開校しました。ヨーロッパから講師を招き、指導者の育成が行われ、翌年には駒場に校舎を移し、駒場農学校が設立されました。これは後の東京大学農学部と、東京農工大学農学部の前身となりました。
当時は西洋種の蔬菜や果樹を熱心に導入していましたが、観賞植物についてはまだわずかでした。なかでも洋式の花卉園芸については明治10年代まではほとんど発展がなく、農事試験場に園芸部が設けられたのは明治の末ちかくでした。
宮内省では、ヨーロッパの宮廷洋式園芸を開発しながら、菊栽培の技術の発展に業績を重ね、大正時代には、桜の研究と改良に大いに力をそそぎました。明治12年(1879)に、新宿試験場の業務が三田育種場に移ると、新宿の土地は皇室に献納され、宮内省の所管となりました。この時、名称を「新宿植物御苑」と改めました。
植物御苑が庭園へと改造される明治39年(1906)までのうち、最初の7年間は、新宿試験場時代の引継ぎと、皇室の台所としての体制整備を行いました。続く14年間は、花卉園芸が急速に発展し、養蚕や林木、動物飼育など様々な試みが進められ、最後の8年間は、庭園への改造計画が練り上げられました。
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