城郭美(門、櫓、石垣)

 田安門と田安門櫓

 田安門は、東西を深い濠池の牛が淵と千鳥が淵に囲まれ、南を江戸城中心部に接しており、内郭の最北端部に位置して、北側が高い北の丸台地を形成しています。田安門外は、土塁が築かれていて、その両側にはソメイヨシノが並び、もみじも見られます。田安門は文化遺産に指定されています。


 雁木坂が残る清水門

 小さな橋を渡り高麗門をくぐると、枡形形式の方形の広場があります。そこから渡櫓門をくぐって左に曲がっていくと江戸時代そのままの「雁木坂」が残されています。清水門の創建年代は不明ですが、1620年には既に存在していた記録があり、現在のものは、明暦の大火後の1658年に再建されたと考えられています。

 【雁木坂】 高さがあって幅のある階段は登りにくく、間の空いた階段の形が雁の行列を作って飛ぶ姿に似ているので、この名がついたと思われます。江戸城址の中で雁木坂が残っているのはここだけで、往時を知る貴重なものといえます。


 築地塀が残る北桔橋門(きたはねばしもん)

北桔橋門の両袖には、白い築地塀が残されていて、天守閣の背後の守りの重要性を感じます。この辺りの石垣は、江戸城の城壁の中でも、最も高く(18.5m内外)堅牢に野面積み(のづづみ)という工法が用いられています。また、強度が落ちないように「ひずみ」という工法もとられています。さたに、角の稜線部は算木積工法がとられています。

 【北桔橋門周辺の石垣の工法】 野面積みは、自然石をそのまま積み上げ、すき間が多く見た目には崩れそうですが、地震に対して最も強いとされています。平川濠には、美しく幾重にも入り込む屈折箇所がみられます。これは、直線が長くなりすぎると強度が落ちるために使われる「ひずみ」という工法です。算木積(さんぎづみ)工法は、長方形の角石を交互に積み上げて、全体に扇型のそりをつけるもので、力を両側の稜線方向から内側方向にかけあって強度の安定性を高める工法です。

 【皇居周辺の石垣】 現在の皇居と北の丸を加えた区域は、江戸城の内郭(うちくるわ)と呼ばれていた部分です。これを各濠が取り巻いて、表側(東面)には堅固な石垣が巡らされ、裏側(西面)には土塁式石垣が延々と続いています。

 【皇居の裏側の土塁式石垣】 土塁式石垣は構造的には三段構造となっており、基礎部分は濠の中に入って土台となる大型の根石が据えられています。その上に積まれた石垣が腰巻石垣と俗称され、水面上に帯状に見られます。その上は高い土塁が築かれてクロマツや桜が植えられ続に腹巻土塁ともいわれ天端には3m前後の幅で平坦部があります。最上部の石垣は鉢巻石垣と称して高さ3m少々あります。所々に「算木積」と呼ばれる角部が見られます。


 江戸の姿がそのまま残る平川橋(外周、皇居東御苑)

 皇居の外周を巡っていて、今日まで江戸時代をそのまま残しているのは平川橋と平川門だけです。平川橋は美しいそりを持つ太鼓型で、これは景観的なこともあるのでしょうが、濠の管理上、橋の下を舟で往来する必要性からと考えられます。往時、本丸から近い通用門であった平川門は、大奥の女性たちが頻繁に往き来した橋でもあります。

 【平川橋】 橋の高欄の偽宝珠(ぎぼし)には、江戸時代の慶長期、寛永期の刻印のあるものが残されています。明治20年に西の丸下乗橋(二重橋)が鉄橋に架け替えられて不要となった際に、平川橋の高欄に転用され現在に伝えられてきたのです。これは、江戸城関係の最古の金石文といわれています。

© The National Gardens Association since 2007